Fashion

RYOTA SHIGA 志賀 1/3



RYOTA SHIGA デザイナー 志賀氏にインタビュー。 


RYOTA SHIGA / 志賀 1/3


「Brand Concept」

「未来永続的に継続する一人、一人の幸福の為の行動。」



「2011-12 A/W コレクション / めびうすのわ」


人は自然の神秘を美しいと感じ、愛、平和を願うのは男性、女性、100年前の過去も、現在も、そして100年後の未来も変わらず、無限大に継続していくとおもい
永遠に続く未来。
それはメビウスの輪のように直線を180度ひねり糊付けすれば、無限大の記号「∞」に酷似する。
直線が曲線に変化し、永遠に続するメビウスの輪の形をインスピレーションとしたコレクション。


■デザイナー、ファッションの道に至った経緯は?


中学、高校生の時期からファッションが好きでした。
私は福島のいわきの出身ですが、中学生の時はDCブランドが出てきて、裏原宿ブランドが流行していました。毎日、服を着て楽しんでいました。
そんな中、高校生の時に買い付けの仕事に興味を持ち始めて、地元だと東京のDCブランドの服が三倍くらいで売れたのです。そこからバイヤーを目指していこうと思い、大学は杉野服飾大学に通いました。当時は、デザイナーになることは考えもせず、バイヤーとして広い視野でファッションをとらえていければと思い四年間学びました。
そして、オンワード樫山の新人ファッション大賞に2005,6年と出場したのが大きなキッカケでデザイナーを目指していこうと思い始めました。
また、パリで山本耀司さんが行っているY-3のコレクションに行き、演出を含め、そのショーにすごく魅了され、それから、海外と日本のファッション以外の部分でもシステムが全然違うことに気づき、海外のデザイナーは、日本人のデザイナーとは言っていることが違い、それが面白く、海外に行きたいと思い、そこがデザイナーとしての分岐点になっています。


■バイヤーしても海外に行くことはできると思いますが、なぜデザイナーとして行きたいと思ったのですか?


0から1を作りたかったと言えばいいのでしょうか。
バイヤーに憧れていたのですが、バイイングは後からでもできると思ったので、若いうちから物の作り方とかいろんなことを学びたいと思いました。また、コンペやアントワープに行ったりするうちに面白くなり、続けていきたいと強く思いました。


■アントワープには学生アシスタントとしていかれたと聞きましたが、なぜ、あえてアントワープをお選びになったのですか?


いろいろ調べていて、留学したかったのですが、
当時、私が一番好きだったのがアントワープのスタイルで、ネットも今ほど情報がなく行きたいと思ってもいけない状況でした。そしたら、たまたまアントワープが学生を募集しているという話を聞き、アントワープに行くことを決めました。
また、日本の学校の作り方を中心に教える教育のシステムと、コンペを通じてデザイナーが語る海外のシステムの違いや少し就活をしていましたが、どこもいきたい所がなく、閉塞感があり、海外に行き、実際に住んでみて、学生のうちに将来の展望を明確にしていきたいと考え、大学4年のときに半期を残して休学し、アントワープに行きました。



■アントワープで得たものはありますか?


すごく大きかったのは友達です。
私はアシスタントして何ですけど、いろんな国から国境を越えてファッションを目指してくる学生がいて、語学を学びつつ、彼らのハングリーさに刺激を受けました。
また、「自分のやりたいことは何だろう」などといろいろなことを考えました。そこでの考える時期がなければ今自分が独立してやっていこうとは思わなかったと思います。
また、幅広い視野でモノを見ることができるようになりました。
やはり、日本の中だと情報は多いが世界のことについてはなかなか見えづらいんです。
だから海外に出てみて、日本のこういうところがすごいんだ、駄目なんだ、ということが外から見られるようになりました。
そこから、次のステップやファッションとしての日本とは全く違う考え方のベースが作ることができたと思います。





RYOTA SHIGA

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