Fashion, Shop Review

Canteen


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“人と人が語らい、くつろげる靴屋”

東急田園都市線用賀駅はしっとりと雨に濡れて、おとぎ話の一コマのような幻想的な雰囲気だった。駅からゆっくり歩いて約5分。閑静な住宅地のなか、佇まいはまるで雑貨を扱うショップのようにも見える一軒の靴屋に辿り着く。靴修理、リメイク、オリジナルグッズの販売など多岐にわたって活動をしている Canteen のオーナー、海老根さんへインタビューを行った。自身のロンドン滞在経験や、学生時代からのファッションに対する想い、現代日本に対する考えに至るまで、様々なお話をして下さった。

・用賀を選んだ理由と、お店の名前の由来を教えてください。
 

「一過性のものには紛れたくなくて。確かに渋谷や原宿には人が集まるけれど、あえてそういった場所は選びませんでした。用賀はエヅラがいいんです。この街の住宅地の中に根差して、住民が気軽に立ち寄れる場所にしたかったんです。Canteenは食堂という意味があって、この店で新聞を読んだりお茶をしたり、お喋りしたり出来る、憩いの場所という意味を込めてつけました。たまに鍵屋とかハンコ屋とかいう名前のお店があるけど、それは虚し過ぎますよね。Canteenって一見何の店か分からないかも知れないけど、それでもいいじゃないですか。少なくとも街に何を作りたいのかは、分かるのですから。」
 
また、海老根さんは自身がずっと構想しているという都市計画についても話してくれた。
「バスとか私鉄とかを巻き込んで、住民がその街を十分に楽しむネットな関係作りができたらいいなと思っているんです。デパートは海外のブランドを並べるのではなく、その街にある個人経営店の品々を集めて、紹介するんです。そういう事を百貨店をやるべきと思ってるんだけど、なかなかやってくれる人は現れないんですよね。」
海老根さんの、店の経営をその店だけで完結させるのではなく、有機的なつながりを作りたいと願いが実にひしひしと伝わった。


・お店を始めるまでの経緯を教えて下さい。
 

「お店を始める前は、食品会社に3年、靴下の会社に2年勤めていました。5年間のサラリーマン生活を経て、突如沸いた知識欲から、靴の世界に飛び込んだんです。ちょうど自分が18歳ぐらいの頃、服飾をやろうという人がどばっと増えましたが、自分はそういう人たちには違和感を覚えていました。英国に知人がいたということもあり渡英して靴の専門学校へ行きました。語学学校と靴の学校へ通い、スウェーデンやフランスへ、靴だけでなくレコードの買い付けや収集などもしました。好きなことをとことんやって、学費や生活費に充てたりもしました。」


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・例えばウィメンズの多様化したヒールなど、特殊な修理はどうやっているのでしょうか。

 
「ほとんど自分で、想像力を働かせてやっています。駅前などにあるクイックな店は、取れた所、欠けた所をただ物理的にくっつけて埋めるだけ。結果的にもとの部分と融合していないのです。そういうのではなくて、僕は時にはもう半分リメイクするような気持ちで臨んでいたりします。修理をするにあたってお客様が僕の店に来た意義があるような仕事をしたい、靴をただ直すというのではなくそれを通じた自己表現をしたいと思っています。そしてお客様の要望を最大限に叶えたいと思っています。以前ジャケットも持ってきて靴にしてほしいと要望するお客様もいました。」

・どういう注文が多いですか。
 
「よくあるのはヒールを高くしてほしいという注文です。靴の修理は、力学とか緻密な計算とかではなく捨て寸など既に何インチと決まりきっている寸法が多いです。」


・仕事へのこだわり。
 
「もしかしたら僕は手を使うのが性格に合わないかもしれないです。でもうまくいくかいかないかに関係なく、それをひっくるめて僕の表現だと思っています。その時その時の一瞬を封じ込めるような仕事をしています。そういう個人商店が増えてほしいし若い人にもそういう精神を持ってほしいです。
僕はトラッドはやらないです。どちらかというと表面的なファッション、ユースカルチャーに根差したものをやろうと思っていました。時代を切り分けて考えるとしたら、アンディーウォーホル以前と以後があると思っていますが、自分をどういう位置で表現しきるかが大切だと思います。やっぱりデザインは評価されないとだめなんです。服飾にせよ靴にせよ、学校で学び続けるのではなく、良くも悪くも評価されて、それがスタートラインなのかも分からないところに立って、とにかく踏み出してみなきゃいけないと思っています。日本は学校を出ないとなかなか学生が活躍できる場がないしパトロンという意識もまだまだ低いので難しいですが。僕にとって、他の人に表現したいという気持ちが、モチベーションなんです。」
 
表現についてどこまでも貪欲な海老根さん。幼少時から、自分は突然変異なんじゃないかと思うほど姉や兄と性格が違っていたという海老根さんは、靴作りに対する姿勢についてこうも話してくれた。
 
「たまたま表現方法が靴だったのです。僕はギターを弾くつもりで靴を作っています。」


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・今の日本について思うこと。
 

「今の時代は、大人も子供の遊びが一緒くたになっていて、年相応のものがないですよね。テレビにしろ娯楽にしろ。どれも似通っていて強烈な話題性がないんです。インターネットでは簡単にダウンロードとか複製とかが出来るのが当たり前で、その価値は薄くて、そもそもそれは〝自分だけ〟のものには出来ないのです。インターネットで莫大な情報量が無料で手に入る時代の人にとって、僕の様に40万円のレコードを買う気持ちは理解しがたいのでしょう。自分だけのものにする、〝所有する〟という感覚が最近の人には薄れているように感じます。お金を払うという行為、その対価、物への崇拝にも似た感覚が、震える感情が、現代の人には感じられにくくなっているように思います。
また、流行に関して言えば、日本は国民性の為にムーブメントと呼べるようなムーブメントが起こりにくい環境だと感じます。僕の若い頃は、海外ではストリートの影響が本当に大きくて、若者が造り出した世界観に大人たちがついていく、大人たちが巻き込まれていくというかたちでカルチャーが生みだされていました。」



・靴作りと靴産業について。
 

「靴を見て、靴を作るのではないということですね。例えば音楽を聴いて受けた刺激などインプットがあって、アウトプットがあります。僕は小学三年生の時のある記憶があって、そのノスタルジーはずっと鮮明に憶えていて、今でも自分を支えていたりするんです。五感をたくさん刺激することは大事だと思います。
靴を産業にするのは難しいです。木型に対する概念が企業によって本当に違っていて、そういうところに辟易したりします。僕は、1910年代半ばに始まったソ連のコンストラクティヴィズムのアイディアが好きで。機能というよりアートとして物のビジュアルを愛でるのです。靴も、サイズ感は限定されてしまうけどデザインやファッションなら自由にできる、と考えていたので、そこに自分の表現を求めているといっていいと思います。だから僕がどんな人か分かれば、僕の作る靴がどんな物かも分かります。分かりやすいだけの物、わざと万人に受けるように作られたものは、過去への侮辱だと思っています。」


・今後の展望についてお聞かせください。

 

「用賀という地に根付いた住民に愛される靴屋であり続けたいです。僕は珈琲が好きで喫茶店をやりたいなぁなんて思っていたり。でもそしたらこの店は誰がやるんだってことになりますよね(笑)

もう40手前だけど、これからも自分のやりたい事、信じている事を続けていきたいです。」


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interview / minko akihiro/text&photo / minko


東京都世田谷区用が4-20-11 鈴木ビル1F
tel:03-3707-6965
10:00-20:00 (定休日 無)
最寄駅 東急田園都市線用賀駅
web:http://www.canteen.jp/


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